第41代理事長 所信

榛南青年会議所 第42代理事長 鈴木 克哉

 2023年、榛南青年会議所は 40周年という節目の年を迎えました。私は入会して直ぐに 40 周年運営委員会の委員長を拝命することとなり、榛南青年会議所の歴史を学ぶために過 去の議事録を見たり、メンバーと共に  の方々にインタビューに伺い、これまでの 40年という長い歴史を様々な角度から振り返ってきました。1984年6月 24 日創設当時、4人から始まった小さな一歩はカーブミラー磨きからでした。そこから空港やインターチェンジの誘致、次代の担い手の育成、さらには映画ロケ地としての 、れんの協働、マルシェ、花火等、我々がいつも当たり前だと思っている榛南の風景のほとんどが、この榛南青年会議所の 40年という歴史に込められている事を知りました。大量の議案の中に先輩方の言魂が残っており、海、空、大地、そして住み暮らす人々の中に、先輩方の積み重ねた歴史が、未だに輝いていることに、心より感謝いたします。

時代が変わっていく中で、青年会議所も時代にフィットした運動を展開してきましたが、少子化や人口流出、そして、新型コロナウイルスも相まって、他の LOMと同じく現役メ ンバーの人数は減ってきています。今や榛南青年会議所は、創設当時と変わらないくらいの人数となってきています。我々は、今一度創設当時の気持ちで、全員で新たなスタートを切りたいと考えております。


はじめに

 

私は大学で建築・都市・まちづくりを学び、「建築をつくるということは、未来をつくることであり、都市空間を変えてしまうものである。社会性のある建築を考えなさい。」と教わってきました。実際に私は小さな建築、あるいはベンチ一つからでも社会にコミットできる、まちを変えられるという考えで様々な設計をしてきました。卒業設計のテーマである公共空間の研究を続けて講演をしたり、さらに中国の街を丸々設計する都市計画をしたりもしていました。

しかし、当時は理論ばかり追いかけており、その活動がどこまで効果があったのかはわかりません。今思い返せば、私がやっていたのはあくまで個人的な「活動」でした。仲間と共に「運動」に発展させない限りは、どうやっても効果が薄かったのだと反省するばかりです。理論と活動はあくまで前提条件に過ぎません。情報が溢れる現代においては、大抵のことが埋もれてしまいます。個人的な活動から運動に展開するための座組みづくりや仕組みづくり、人づくりこそが大切だったのだと今は思えます。

地域を変え、社会を変え、そして、世界を変えるためには、まず人を変えない事には始まらないのです。青年会議所はイベント屋でもなく、ボランティア団体でもないと喝破する先輩方の社会開発運動に、知らず知らずのうちに巻き込まれていたのかもしれません。


先輩方からのバトンを次代に繋げるために

私が、アカデミックな考え方から具体的に現場に着地したのは、 年の牧之原市第二次総合計画「 まきのはら」に参加した時でした。当初の私は、アイディアはたくさん提示をするものの、実際にどう動くのか、誰がやるのかといったことは宙吊りになった状態でした。一方で、一緒に参加されていた榛南青年会議所の先輩は、非常に具体的な、地に足の着いた意見を出していました。話を聞いているだけでも頭の中にありありと情景を思い浮かべることができ、これはやってみたいと突き動かされたものでした。

そこからの私はその先輩に巻き込まれるようにして、新宿に飲食店を構えて榛南茶の三撰出しをしたり、特産品を売ったり、榛南の市長を呼んで新宿区民に  をしたり、農家の方々と協力して産地直送マルシェを開催しました。さらに渋谷の屋上活性化から廃校結婚式に至るまで、東京に住みながらも地元・榛南から継承した運動をずっと続けておりました。

また、 年に廃校となった旧片浜小学校の使い方の相談を受けたことも大きなターニングポイントでした。榛南青年会議所の先輩方と、この廃校を「カタショー・ワンラボ」として事業化しました。

多くの廃校ビジネスは、多額の補助金をもらい、今っぽくデザインされた新たな施設として生まれ変わり、今っぽい会社が入って、数年間流行し、飽きられたらまた新たに今っぽい会社が入り補助金をもらって改修する、というビジネススキームです。

しかし、この廃校においてはそういったやり方ではなく、地元の方々や先輩方と共につくりあげ、予算を割かずに「小学校の状態をできる限り保つ」という選択をしました。この選択は成功で、 代~ 代の県外の客層から支持を集めています。

私はまだ入会して1年を超えたばかりの新米です。青年会議所のことを深く理解していない私が、とてつもなく重い理事長職を担うことができるのか。極めて異例のこの人事に私自身戸惑いましたし、とても負い目に感じておりました。

しかし、振り返えれば  年以上前から青年会議所的な運動、すなわち宣言文にある「社会の課題を解決し、持続可能な地域をつくる」ことを目標に尽力してきたという自負はあるということに気付きました。そして、どの運動にも必ず青年会議所の先輩方が何らかの形で関わってくださっていました。今回理事長職を預かるにあたり、こういった先輩方との  年以上の軌跡が、私の背中を押してくれました。繰り返しにはなりますが、卒業してもなお地域のことを考えてくれて、通奏低音のごとく運動を後押ししてくださっている先輩の方々には頭が上がりません。

先輩方からの運動を止めないこと。こういった運動を  年先、 年先まで繋いでいくこと。これは我々に課された義務であると感じます。実際にどうやって次の世代にバトンを繋いでいくのか。我々が  周年記念式典の長期ビジョンで示した3つのテーマこそが重要になってきます。

① 地域の魅力の発信

② 持続可能な組織づくり

③ 次代の担い手を育成する

 周年記念式典で、我々はこれらの長期ビジョンを発表しました。一つひとつが非常に重要なテーマで、本年度も正面からこれらに向き合っていこうと考えております。


①地域の魅力の発信

 年ほど前、先輩方から頼まれ、榛南地域「陸・海・空」の未来像の絵を制作いたしました。その絵には、洋上風力、空港の新幹線新駅、大学都市が含まれており、富士山静岡空港から御前崎港を繋ぐエネルギー循環型の都市像が描かれていました。青年会議所が地域のビジョンを提言し、大きな運動をつくり出しており、私も都市をデザインしていた身として精一杯尽力いたしました。また、IR(統合型リゾート)の誘致の時も協力いたしました。しかし、これらのビジョンの実現は未だに難航しております。空港誘致の時代とは違い、大規模計画が実現しにくい時代です。今後、先輩方の示したビジョンを引き継いで我々のビジョンへと修正するのであれば、ハード型に加えてソフト型の発想も付与していかなければなりません。

例えば、静岡県は「文化首都の幕開け」というビジョンを打ち出しています。昨年静岡県が、東アジア文化都市として指定されていたということもあります。

ここ榛南の文化として真っ先に思い浮かぶのは、サーファーやスケーターを中心とした独特のローカルカルチャー、榛南各地で開かれるフェス、さらには映画ロケ地として多用される豊かな環境。どれも榛南という縦長の海に面したエリアで自生的に生まれた文化です。「陸、海、空」を文化面で再解釈してみても、非常に豊かな魅力に溢れています。

前述したカタショー・ワンラボですが、全国放送のテレビ番組で取り上げられた際に

「アンダーツーリズム」という独特の切り取られ方をしました。「アンダーツーリズムとは、観光地が大混雑するオーバーツーリズム現象を背景に、観光地でない場所に開放的な旅に行くことを指します。」との説明がありましたが、かつては多数の観光バスが往来していた榛南を「観光地ではない場所」と紹介すること自体いささかアイロニックな表現です。このテレビ番組でカタショーは、「無人島の貸し切り」ツアーと一緒に並んで取り上げられていました。今や榛南は、無人島と並べられて紹介されているのです。

しかし、長らくこの地から離れていた私としましては、この無人島的な感覚は理解できます。他の地から榛南に戻ってきた時に、大らかな海の水平線、台地には茶平線がある、開放的で居心地のいいここの環境は、南洋信仰における理想的な南の島、つまりは「便利で快適な無人島」であるとさえ感じました。

榛南は多くの映画のロケ地となっているため、他の地域からどう見られているのかということを確認することができます。私の設計した住宅もロケ地となる機会がありました が、ここで描かれていた情景も、まさに「便利で快適な無人島」でした。

観光地化されていない良さをアピールする、というのは二律背反で難しいことではあり  ます。しかし、今後はそのくらい繊細なツーリズムが求められてくることでしょう。これは今までのツーリズムを破壊するくらいのゲームチェンジになり得ます。情報過多を背景に、ありきたりな観光では満足できない層が今後溢れてくることは想像に難くありません。そして、インバウンド市場にもその流れができた時、いよいよ無視できない状況になってくることでしょう。そういった榛南独自の魅力を、メンバー全員で探し、積極的に発信していきましょう。

本年度、榛南青年会議所は  年ぶりに静岡ブロック協議会の主管  を務めます。静岡県内全ての青年会議所が榛南に注目し、全国にも榛南の名前が上がります。静岡ブロック協議会で、法人格も無いこの小さな  が果たして主管を成し遂げられるのか、ということを県内各  が注目しています。我々榛南青年会議所としては、これを絶好の機会だと考えて、榛南の魅力を伝えていきましょう。

そして、本年度は静岡ブロック協議会を最前列で眺め、多くの方から刺激を受けて共に成長することができる、榛南青年会議所にとって貴重な機会でもあります。賀詞交歓会の主管など外部との連携も多々予定されており、多くの方々との交流が見込まれます。一つひとつの機会を大切にし、しっかりと準備して取り組みましょう。


②持続可能な組織づくり

現在、ファミリービジネスが多方面で再評価されています。巨大企業が牽引する高度資本主義経済、新自由主義経済は、格差問題、雇用問題、人間の尊厳を無視した入れ替え可能性など、社会のあらゆる問題を抱えています。一方で、ファミリービジネスはある種の義理・人情の世界です。地域に問題があれば駆けつけるし、地域の若者を育て、血の通った入れ替え不可能な組織となっており、社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)として大いに機能しているという指摘があります。

ご存知の通り、青年会議所はファミリービジネスが多い団体です。誤解を恐れずに言え ば、青年会議所自体が一つのファミリービジネスであるとさえ言えます。メンバーが困っていれば全力で手助けをし、問題事は仲間で共有される、いわば運命共同体です。そして、

青年会議所は、静岡県内、さらには全国で共有できるファミリーになっています。困ったときのセーフティネットとなるような共助のシステムが残っているのです。

この昔ながらのファミリービジネスの考え方は、時代を越えて最先端の資本主義の考え     方に合致しています。世界経済フォーラム(通称ダボス会議)では、元来の資本主義を再解釈し、「ステークホルダー資本主義」を目指すと発表しています。株主(ストックホルダー)の利益を最大化すべきだ、という株主至上主義の資本主義ではなく、企業活動に影響する全てのステークホルダーに貢献すべきだという資本主義です。従業員を思いやり、取引先のことも考え、関わる地域にも貢献し、関係している利害関係者全員の面倒を見る、という極めてファミリービジネスに近い考え方です。

持続可能な組織づくりとは、協力して  年後、 年後もずっと続く、仲間探しから始まります。そして、ファミリーをつくっていくことでもあります。たくさんの人と出会って、語り、全員で仲間の輪を広げましょう。

また一方で、「桃李ものを言わざれども、下したおのずから践(みち)を成す」という言葉もあります。桃や李すももは、口はきけないけれど、そのかぐわしい香りを求めて自然に人が集まってきて道ができるという意味です。 いくら組織拡大に力を入れても、我々自身が人を惹きつけるような運動をしていなければ、人が集まってくることはありません。我々が魅力的な組織であり続けるために、魅力的な運動を展開していきましょう。


③次代の担い手を育成する

長期ビジョン策定にあたり、メンバー全員から意見を集め、一番意見が多かったのが、将来の担い手不足でした。若者の都市部への流出、地域に鉄道がない、定住を考えられない等、問題点は尽きません。我々は全員で、このテーマに向き合っていかなければなりません。

少ない人数で担い手の育成事業は難しいところがあります。しかし、①地域の魅力を発信し、②持続可能な組織づくりを徹底することによって、担い手の育成に繋がっていくことでしょう。

そして、「鉄道駅すら無い田舎だから」「無人島のような場所だから」と卑下するのは非常に勿体ないことです。駅が無いからこそ、無人島のような場所だからこその魅力があるのです。「〇〇だから」と言い訳するのではなく、「〇〇だからこそ」やろう、という考え方で常に挑戦していきましょう。

ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスよりも筋力・脳ともに優れていたと言われています。なぜ弱者であるホモ・サピエンスが最終的に生き残ったのか。ホモ・サピエンスが最も優れていた点は、コミュニケーション能力だったということが明らかになっていま

す。ホモ・サピエンスは協力して何かをすることに喜びを見出し、だからこそ繁栄を築き上げた種族であり、一方で孤独には弱いという弱点も持っています。

人間は、協力して一つの大きな事を成し遂げる事に喜びを見出します。遺伝子レベルで そうプログラムされています。私が青年会議所に所属している中で、記憶に残っている楽しかったこともやはり、全員で意見交換をし、ようやく一つの事を成し遂げた経験です。仲間を増やして、先輩方の意志を次代に繋ぎ、 年以上先の未来へ繋がるような気概を、我々が示していきましょう。


結びに

昨年 4によって全世界に衝撃を与えた  のサム・アルトマンは、続け様に仮想通貨  をリリースしました。これは将来的に  が稼いだお金を全員に配るシステムで、数十年前から世界中で議論されていたベーシックインカムを、より現実的なレベルに引き上げていることで話題になりました。彼は明確なビジョンを打ち出しています。「人々は労働から解放される」。そのビジョンは、今後の我々の生活を劇的に変えていくことが予想されます。

これからの時代は確実に、こんなことをやりたい、こんなまちにしたい、そういった

「たい」を自発的に増やしていくことが重要になってきます。「たい」を増やすこと、そして「たい」のビジョンを明確にし、「たい」を育てていく。我々の人間的な活動の根源には、この「たい=鯛」が必要不可欠になっていくことでしょう。

私が榛南青年会議所に入ってよかったことの一つに、活きのいい大きな鯛に沢山巡り合えたということが真っ先に挙げられます。「海の大切さを知ってもらいたい」、「農業のテーマパークをつくりたい」、「サッカーのクラブチームをつくりたい」など、入会して一年という短い期間に、本当に沢山の鯛に出会いました。

そらやれ、やれやれやれよ

これは榛南の祭に伝わる掛け声です。青森県の五所川原では「やってまれ」、浜松では

「やらまいか」、福岡では「やっちゃれ」、そういった各地の掛け声と同義です。その精神が日本の黄金時代を引っ張ってきたと言っても過言ではありません。 やデジタルファブリケーションが日進月歩で進化し続けている今だからこそ、この極めて人間的な「やれやれ」精神が必要なのではないでしょうか。メンバー全員がやりたいことを見出し、仲間を増やし、そして、運動へと発展させましょう。

忙しいからを言い訳に自分ができる範囲のことだけをやる、というのでは人が成長することはまずありません。頼まれてしまったから背伸びをしてでもなんとかやってみる。それこそが青年会議所が提供する「発展と成長の機会」なのです。 だからこそ、榛南に古くから伝わるこの掛け声が重要になってくるのだと思います。

MENU
PAGE TOP